『新版 小栗判官・照手姫』が終わって

現在、東京公演のチェック用映像などが送られてきている状況。先ほど恐る恐るチラ見してみたが、自分が舞台に立っている姿を見るのは拷問でしかない。とはいえ、立場上見ないわけにもいかない。次回への反省とするために、心の準備をしっかりしてからちゃんと見ることにしよう。

『小栗判官・照手姫』の恐ろしさ

この作品はある種の人を非常に深く捕らえてしまうのだとはっきりわかった。以前の演出(遠藤演出)の時も、察するに本当に色々あったのだろう。これから先、自分が飲み込まれないようにしないといけない。それには、視点を広げ、いろんなことに興味を持ち、向上心を忘れず、自由であり続けようとすることが大事だと思っている。

読売交響楽団のリゲティを聴きに行く

https://yomikyo.or.jp/concert/2022/12/633-1.php#concert

割と直前まで迷ったが気合いでサントリーホールへ。入り口でプログラムらしきものを配ってたけど、もらってくるのを忘れた!

リゲティ生誕100周年ということもあって組まれたプログラムらしい。リゲティのピアノ協奏曲は、一発ネタを取り留めなく繰り出すような感じではなく、音響的素材をしっかりと発展させていってるように感じられ、とても良かった。

あんな難しそうな現代曲に大人数のオーケストラが挑んでいるという姿だけでも見もの。会場は満員ではなかったものの、お客さんの拍手は熱狂的で、カーテンコール何度やったんだってくらいずっと拍手が止まなかった。

SNS疲れ

疲れも何も、ほとんどSNSで発信してないけど、水面下では葛藤があった。今回『新版 小栗判官・照手姫』にかこつけて自分のアカウントから色々発言や宣伝のしようもあったし、言おうかどうか迷ったのではあるが、結局ほとんど何も言わずに東京公演から2週間ほど経った。何もしないで踏みとどまっていた理由は自分でも謎な部分はあったけど、さっき思い至った結論は、単純にインスタントなコミュニケーションに耐えられないからだと思った。

その基準で言えばXよりはFacebookの方がマシといえばマシ。しかし、「いいね」その他のリアクションで自分の態度が決まってしまう(ように見なされる)ことがキツくて自分からはほとんど何もできないでいる。

もっとも、こういうことで気疲れするよりは、創作を頑張ることが自分にとっては遥かに大事。今日の読響もそうだけど、自分の肥やしになることに投資をしつつ、数少ない暇な時間で創作を続けることとしよう。

10月3日『創作影絵人形劇「極楽金魚」』振り返り

ずいぶん久しぶりの更新です。

つい先日(10月3日)久しぶりの公演『創作影絵人形劇「極楽金魚」』があり、その余韻も覚めやらぬ中、並行して動いていた次の横浜ボートシアターの企画『白い影絵』が本格化します。次の企画についても色々書きたいんですが、今回は『創作影絵人形劇「極楽金魚」』のことについて、スタッフ的な観点から振り返ります。

本公演は初めてのライブ配信を行ったのですが、その際のテクニカルな部分の御膳立てを、カメラの映り方の設定(露出とかホワイトバランスとか)以外は全て僕が行いました。これを無事に乗り切るのが無茶苦茶プレッシャーのかかる仕事でした。

当初(配信クオリティ的な意味で)無事にやり通せる自信がなく、無料配信が可能か劇団と相談しました。しかし、劇団からは無料でやるのはNGと返事。今思えばその決定があったからこそ今回の成果が得られたわけですが、仕込みと動作チェックが終わるまで、毎日頭が沸騰しそうなくらい悩みながら色々考えてました。そして諸々の事情によりなかなか必要な機材が買えず、本番が近づけば近づくほど音楽よりも配信に関わる作業で忙殺されるという始末……(幸い配信の反響は悪くなかったので、その甲斐があったかなと思います)

一番不安だったのはWi-Fiの強度。上り無制限の強そうなルーターをレンタルするのはいいけど、果たして公演中無事に皆様にお届けできるのか? 結果はご覧になった通り。前半微妙にコマ落ちが発生していたので、配信後、会場での撮って出しを視聴可能にするサービスは妥当かなと個人的には思いました。ライブ配信のクオリティに関しては、小さい規模だとこれが限界かもしれません。もっと予算があればさらに高価な機材を使って安定した配信ができるような気がします。

今回、配信への音声入力・録音に8ch入力のMTRを使用しました。しかし、その仕様をじっくり頭に入れる時間がないまま会場入りしてしまい、なんとなくな感じでスイッチャーに音を突っ込むという気持ち悪い使い方になってしまいました。今時なんでMTRにしたかというと、PCでの録音に対する漠然とした不安があったためです。会場の船は電源が弱く、時たま電圧が100Vよりもかなり下に落ちます。そうなったときAI/Fが異常動作しないかかなり心配でした(過去に一度、船ではない会場で本番数時間前にAI/Fが低電圧でぶっ壊れ、ダッシュで代替品を買いに行った苦い思い出があります。あれ以来、持っていけるスペアは可能な限り現場に持っていくようになりました)。電源の弱いところではアダプターからではなく、PCからバスパワーで電源が取れるインターフェースの方が安心ですね。と言いつつ、今自分はアダプター経由のやつしか持っていない。次の本番までには買い換えたいところです。

なお、ライブ配信ではなく音楽の方での細かいトラブルもありました。今回本番中に比較的電流を使うエフェクター(Eventide Time Factor)が少なくとも2度ほど電源が落ちました。幸いにもそのエフェクターが目立たない箇所での事件で助かりましたが、派手に使うシーンもあったのでその時に落ちなくて良かったと心から安堵しています(もうちょい電流を使わずに済むエフェクターに変えた方が良さそうですね。Time FactorからDD-500あたりに変えると思います)。

さらに余談ですが、今回足元のエフェクターの大半に電源を供給したのは、VITAL AUDIOのバッテリー付きパワーサプライでした。これが大当たりで、バッテリー付きでなかったらおそらく何回も音がブツ切れてたんじゃないかと思います。本番中も電源タップから電源は取ってたものの、実は全然電圧が足りてなかったらしく、家に帰ってコンセントに挿したら即座にバッテリーの充電が始まり、残りを見たら2〜30%くらいになってました。これまた本番中バッテリー切れにならなくて良かった……

ところで、今回は本番前の二日間、『創作影絵人形劇「極楽金魚」』の動画作品としての撮影も敢行。「遠藤さんの一番年下の友達」田中千里くんと、「田中くんの友達」我妻天湖くんがすごく頑張って撮影してくれました。これから僕も参加して編集するので楽しみです。

動画配信作業のメイキング(?)

ここ数週間、本当に忙しくなってしまってニュースをチェックすることもままならなくなってしまった。おかげでコロナウイルス実態解明の進展についてあまりキャッチアップできておらず、昨日ようやく、ドイツでは日本のとった対策が「たまたまうまくいった」という評価になってきていることを知った。

そうこうしているうちに、コロナウイルス騒ぎが始まる前に決まった仕事はほぼ全部消滅した。自分としても、これで新しい世界に踏み出してしまったのだなという感が強固になった。今横浜ボートシアターでは新たな活動の試みを始めており、自分も協力できる部分はしていこうと持っている。

さて、忙しかった理由の一部は横浜ボートシアター『耳の王子』の動画公開に関わる作業です。本日ようやく無事に公開にこぎつけたが、そこに至るまでの過程が本当に長かった。いつもの手順に加え、劇団と共同主催の国際交流基金への許可申請(奥本くんが担当)、インドネシア語・日本語字幕の作成(吉岡さん、奥本くん、松本の分業)という二つの激重タスクが加わり、当初よりも予定が伸びてしまった。

特に字幕はYouTubeの編集機能が使いづらかったり、なぜか内容が保存されなかったりで、最初のほうは本当に精神を削られた。仕方がないので、途中からはオフラインで字幕を合わせ、字幕ファイルを出力してYouTube上で合わせるというやり方に切り替えた。

このせいで、本当は単純な分業で済むはずだったのが、インドネシア語の字幕に関しては、僕がまず字幕をオフラインで合わせ、それをYouTube上でご両名に微調整してもらうという流れになってしまった。作業量的な面では1.5度手間(二度手間まではいかない)くらいにはなってしまって、残念な感じはするけど、まあ、トラブルへの対応としてはそこそこうまくいった。何せ無事に公開できたんだから。

しかし、今度は字幕ファイルに謎のズレが生じる。動画編集ソフトで調整しようとしても、一度作成したキャプションの頭を伸ばすことがなぜかできない。ここでやりたいことは字幕の表示時間を一括して数秒単位で動かしたいというだけなのだが、なぜかPremiere Proではできなかったのだ! なんでなんすかー、Adobeの中の人、教えて〜!

というわけで、最初はGoogle Spreadsheetの時間計算を頼ろうと色々頑張ったが、結局AegiSubというソフトを使うのが一番確実だった。

ちなみに字幕を台本からPCに入力する段階では、Google Spreadsheetを全面的に活用しました。特にインドネシア語台本を打ち込む時は、GOOGLETRANSLATE関数が超便利で、これがなかったら作業時間が最低1.5倍くらいになってただろうなと思います。

Google翻訳、検索結果や翻訳用の単独ページでの精度は、ある時期から本当にこなれてきてすごいと思うんですが、スプレッドシートでGOOGLETRANSLATE関数が返してくる翻訳はいまだに前時代的なものです(少なくともインドネシア語→日本語に関して)。しかし、それがかえって面白く、作業中の一服の清涼剤として機能してくれたことには感謝したい!

ちなみに動画の編集に加え、宣伝に関する作業も同時にやらなければいけない状態でした。前回の『夕やけぐるみの歌』と今回の『耳の王子』宣伝の内容・構成はだいたい僕が考えて、みなさんに修正してもらって即送信!という感じになってしまいました。理想を言えばもっと色々したいんですけどね、なかなか難しい。

少人数の集団は計画をしっかりしないと簡単に詰みます。今回はギリギリ詰まないですんだけど、その分日常への被害はどうしても出てしまう。本日はすでに作業のピークが過ぎているのに、電話着信の幻聴が数時間おきに聞こえて、うまく眠れなくなってしまいました。

しかし、今後いつかくるであろう公演の予行演習としてはちょうど良かった。中規模クラスの公演になると、これより大変なのは間違い無いので、しっかり準備しないと!

詩ごころがわかりたい(わからないものと自分を繋げる第一歩)

横浜ボートシアターの方々と関わっていると、よく「詩的表現」という言葉が出てくる。意味合いとしては、なんらかの飛躍した表現であったり、象徴性のある表現だったりする。そういう文脈での「詩」は、劇団との付き合いももう10年になるので、ある程度わかっていると思う。

しかし、自分はいまだに詩が読めている自信がない。何度か散発的にチャレンジしたことがあるが、その度中途半端に終わっている。
最近、新たな企画の必要性から詩を読む機会が増えた。何らかの強制力がかかると、理解への圧力が段違いなので、これ幸に企画と直接関係ない詩集も読んでみた。

最初はやっぱり何が面白いのか理解できないのだが、同じ作者の詩をいくつも読んでいると、その人のカラーというものがだんだんわかってくる。わかってくると、その色に応じた読み方がなんとなくできるようになってくる。すると、素通りしてしまう詩と、なんとなく目に止まる詩にわかれてくる。自分なりの詩に対する感覚が少しはできた、ということなのかもしれない。

詩についてもう一つ面白そうだと思う切り口は、日本における詩の歴史である。明治初期の詩のアンソロジーを読んだら、いまは当たり前の口語詩が、かつてはまったく当たり前でなく、ある種の発明であったことがよく体感できた。知識では口語詩、新体詩というものが発明されたことは知っていたが、その前にどんな詩があったのか(和歌、俳句等でなく)、ということになると意外とイメージが湧かないものだとそのとき初めて気づいた。ちなみに、文語詩でかなり有名な部類に入る「若菜集」は、調べたら1897年。ということは明治後半と言っていい時期だ(ついでに言うと樋口一葉はすでに亡くなっている)。この頃すでに一葉は古風な作風だと認知されていたらしいので、「若菜集」の文語詩もそれなりに古風な趣だったのではないか(内容的にはロマン主義で新しかったのでしょうが)。

閑話休題。先述したアンソロジーに取り上げられた詩人たちは、ヨーロッパ的な要素を取り入れようとギリシャ神話などを題材にしているのだが、言葉は完全に文語で、漢語も多く、しかも七五調。今読めばわざと難しく書いているようにしか思えないが、新しい時代にふさわしい詩を作ろうと必死だったことは想像に難くない。激しい格闘の中で生まれた果実を存分に味わえる現代は幸せである。

さて、自分としては、こんなことを考えているうちに、詩を楽しめる予感がしてきた。わからないことにぶち当たった時、それが自分にとってもし大切だったら、それをいかに自分と繋げるかということが大事である。

今回は、「仕事上の強制力が働いたこと」、「一人の詩人に親しんだこと」、「口語詩が歴史的な挑戦の堆積の成果と実感できたこと」、という三つのくさびを詩に打ち込むことができたので、詩を読むためのとっかかりができたように思う。

(2020年1月11日 大幅に追記)

新年あけましておめでとうございます

旧年中は様々な方にお世話になりました。相変わらず横浜ボートシアターではたくさん公演をしたし、そのご縁で福井にも行ったし、説経節政大夫師の「愛護の若」の演奏にも加えていただきました。関係者の皆様、ご来場いただいた皆様に心よりお礼申し上げます。

昨年末より仕事がちょっと空き気味だったので、超久しぶりに真面目に(?)音楽に打ち込んでいます。毎日魂が抜けるくらい楽器を練習するのも良いものです。

実は2018年の横浜ボートシアター公演「さらばアメリカ!」が終わったあとくらいから、音楽という表現形態に対して非常に疑問を覚えるようになり、2019年中は結構しんどい思いをしながら公演に参加していた時期もあります。昨年夏頃が新作の影絵に関わっていたこともあり、一番しんどかったかなあ。

しかし、先ほども書いた通り久々に音楽漬けになった年末を経由して、音楽に対する愛がかなり充電でき、とりあえず音楽さえあれば生きていける、くらいには愛が回復しました。今、ひょんなことからちょうど良さそうな生活のサイクルが定着しつつあるので、あともうしばらくはこの調子で頑張りたいところです。

音楽に対する熱が復活した理由は、練習量が増えただけでなく、NPR Tiny Desk ConcertというYouTubeで見られる短いライブ動画のシリーズを多く見たことも関係しています。Tedeschi Trucks Band、Suzanne Vega、Jorge Drexler、Lianne La Havas等々、簡素なPAで素晴らしい演奏を聴けます。こんな貴重な映像がたくさん見られるなんて、ラッキーな時代に生まれたものです。

今年は現在の余勢をかって、音楽に対する熱を維持したまま突っ走れたらいいなと思います。まだ公言すべき段階でない目標もいくつかありますが、それは追い追い。

横浜ボートシアター「洞熊学校を卒業した三人」無事終了。そして……

創作影絵人形芝居「洞熊学校を卒業した三人」が台風の直撃を避け無事に終了した。今回は広報面で予定通りにいかず迷惑をかけたが、関係者の方々のご尽力で全日満員御礼となって良かった。個人的には反省することが多いし残務もまだあるので、その辺の整理をつけて気持ちよく次の公演に向かいたいところである。Twitterとかでも既に申しておりますが、重ね重ねご来場いただいた皆様、関係者の皆様ありがとうございました。

次に控えた公演は9月1日の一人語り「にごりえ」である。「にごりえ」は数えたら今まででちょうど10回やっていた。つまり次は11回目である。一葉作品では多分一番やっていると思う。次が「十三夜」と「大つごもり」だろうか。全部好きな作品なのが嬉しい。

実は語りに音をつける仕事で、構想の段階では自分は音読をしない。なぜなら演者が語っているところを想像し、それにどんな音をつけるかということを考えながら読むからだ。そういう読み方をする時、自分の声は邪魔になる。

しかし、今回は気分転換ということで、まずは自分で声を出して「にごりえ」を読んでみた。

実はまだ半分くらいしか読んでない(全部声に出すと2時間くらいかかる)が、それでもやってみると黙読の時よりも内容がよく頭に入ってくる。そして、結果的にいくつか新たな音のアイディアを思いついた。読解が深まったせいか、それとも少し経験を積んだせいか?

自分が妙にこだわっているところや無意識的な癖は、マンネリに繋がりやすい。なんとなく気分が乗らない時などは意識して当たり前だと思っていることを変えてみると良い(かもしれない)。

さて、「にごりえ」について本当に書きたいのはここからで、それも自分の私的なメモである。せっかくだから、「にごりえ」に止まらず一葉作品の語りに対する今までの音作りの変遷を軽くメモしたい。

GR-55期

GR-55はRolandのギターシンセ。GKピックアップという専用のピックアップをギターにくっつけると各弦独立に演奏情報を拾ってくれる。その演奏情報を恐らく内部でMIDIデータに変換し、内部音源を鳴らすことができる。MIDI OUTもあったのでやりたければ外部MIDI音源も鳴らすことができる。

僕はGR-55のシンセ音源部分もまあまあ気に入っていたが、より気に入っていたのはモデリング音源である。ギターの生の音をハイレスポンスで他の楽器の音に変えるというものだ。レスポール、フェンダー、テレキャス(あったっけ?)等々の様々なエレキギターのモデリングに止まらず、アコギ、バンジョー、シタールなんかもあった気がする。しかもこのモデリング音源はオクターブシフトさせたり、もっと細かい音程の調整もできたように思う。死ぬほど作りこめるので、熱意に溢れている若者はぜひ一度触っておくと良いと思う(笑)内部エフェクターや音源のルーティングの融通がかなりきいたので、自分の音を作りたいという人はぜひ。

僕は本当にこのモデリング部分を気に入っていたので、のちにその機能だけ取り出したエフェクターも登場して、その時は買おうかどうか迷ってくらいである。

しかし、ある日、楽器屋に売ってしまった。なぜか……。それはGKピックアップがすぐに断線してしまうこと。そして、何よりもベロシティの感度の甘さ。強弱は演奏においてかなり大事な要素だ。自らのレベルアップを図るため、音色のバラエティや独自性を犠牲にしてでも演奏のレベルをあげるべきだと思った。語りというものとどう関わっていくか、という問題に対する一つの賭けであった。

GR-55を語りに使ったことで覚えているのは「軒もる月」だ。当時は影絵の「極楽金魚」をGR-55でやっていて、その流れで同時上演する語りにも使ったのだった。群馬などで使用した記憶がある。

M13期

M13はLINE6から出ている大仰なマルチエフェクターである。でかくていかにも堅牢そうな見た目をしている。4つのFXチェーンから自由にエフェクトを組み合わせて音作りができる。変態っぽい音が作れそうで期待したのだが、意外とスタンダードな音だった。次善の策としてM13にありがたくも付いているエフェクトのセンド/リターンを用いて変態的なエフェクトを挟むことにした。Red PandaのParticleとかをよく使いました。

他にもこの時期は色んなペダルをくっつけた。BOSSのOD-2、Empress EffectのEQ、MXRのEQ、SONUUSのVOLUUMなどなど。どんなシグナルフローだったかは忘れてしまった。

このシステムは「にごりえ」の初演以降しばらく使った。そして、この頃から歪ませるよりもクリーントーンで弾くことが圧倒的に増えた。

Guitar Rig(PC) 第1期

Guitar Rigはライブじゃ使えない、ってよく言われるじゃないですか。だからずっと使わないでおいたんだけど、どうせスタンダードな形で使うわけじゃないんだし、他の人が使えないというんだったらある意味チャンスじゃないかということで使い出した(ペダルボードだと荷物が増えて大変だというのもあった)。

Guitar Rigは恐らくM13よりは変態系な音が簡単に出せる。特にプリセットを用意すれば。しかし、使い慣れないうちは、声との帯域の被りをどうするかという問題と、ダイナミクスの問題という、二つの悪魔との格闘であった。

声との被りは前々からEQでなんとかしていた。この時もGuitar Rigに付属しているパラEQやグラEQでなんとかしていた。しかし声と喧嘩しないように大きい音を出すためにはどうにもショボい音を強いられてしまって、かなり悩んだものである。

先の問題が解決したきっかけは残念ながらはっきりとは思い出せない。しかし結論から言えば、自分の演奏技術の向上と、語り手の声の変化が大きかったように思う。それら二つの要因がきっかけとなり、自然と次のフェーズへと移っていった。

Guitar Rig第1期の状態で演奏していたのは意外と最近までで、恐らく2018年12月が最後である。一応現状関わった樋口一葉語り作品全ては一度このシステムで演奏された。

Guitar Rig(PC)第2期

Guitar Rig第2期の直接的なきっかけは、記憶が曖昧だが恐らく稽古中に「もっと出すとこは出してくれ」と言われることが増えたことにあるように思う。主張の強い音を出すためには、今まで削りまくっていた中低域をフラットに近づけることくらいしかなかった。そんなわけで、段々とEQの設定が変わっていき、ついにはほぼフラットになってしまった。以前からすれば全く考えられない変化である。

何故こんな変化が訪れたのか。稽古中のダメ出しから逆算して考えると、これは語り手の声が強くなったからだ。音作りというのも関係性で随分と変わるものだなと思う。

このダメ出しで自分の演奏スタイルもかなり変化した。エフェクトの自作プリセットに頼らず、自分の手と足(エクスプレッションペダル)でダイナミクスを調整するようになった。おかげで語りに対する反応はかなり高くなり、より状況に即した音付けができるようになった。

このスタイルで演奏したのは今のところ、2019年3月の「十三夜」「大つごもり」が最初で、同年6月の「わかれ道」「この子」「闇桜」2度目。まだまだやり始めたばかりだ。

今年9月の「にごりえ」もこのスタイルでやりたいと思っている。我がことながら、どうなるか楽しみだ。


(ちなみに、以上の音作りとは別に、アンプ/スピーカーの変遷にもそれなりの量があるのだが、それはまた別の機会に譲るとする)

(語り作品には省略されたものも複数ある……が、自分用のメモであることから勘弁していただきたい)

「”新しい”音楽」という言葉の意味

音楽に関わる人間として、今後どんなことをやっていけばいいのか。 忘れた頃に何度も思い出したように浮上してくる問題だ(いやいや、いつも気にしてますよ!?)。

自分の限られた視野に基づいた考えなので与太話程度に読んでもらいたい面もあるが、今の自分の基本的な前提としては、音楽の新しさに関する可能性はほぼ残っていない。音楽という可能性の枠はすでに開拓され尽くされ、その中で細かな技や完成度を競っているのが今の「新しい」音楽なのだ。 音楽において、もう発想的に新しいものを作る可能性がないとすれば、今を生きる作曲家は何を作れば良いのか。

随分悲観的な言い方だな、と自分でも思うが、ふと「新しさ」という言葉を無批判に使っていることに気づいた。 「新しさ」というのはその一言では言い尽くせない色んな意味合いがあって、特に創作を志すものにとっては生きがいに直結するような概念だ。

しかし結局経験の蓄積・それに応じた感覚の変化が「新しさ」という言葉の実質的な意味をいつの間にか変えてしまった。にも関わらず、自分は昔と同じような「新しさ」の質を求めているから苦しいのではないか。

自分が固執する「新しさ」は、過去の自分が何かを新鮮に感じていた経験に根ざす。 自分にとって新しかった、斬新だったと思われるもの、それを見聞きした経験はとても眩しい。 しかしそういう「新しかった」とされるものをよく観察すると、その新しさの源泉は既存のものの組み合わせであったりする。 それに気づいてしまった現在では、かつて味わったあの感覚の再来は望むべくもない。

では今自分が「新しさ」を定義するとすればそれは何か。残念ながらその問いに対する答えは持ち合わせていない。のみならず、今はそれより優先しなければならないことが一つある。

それは、「新しさ」がフーリエ変換のごとく一瞬で組み合わせへと還元されるとしても重要なことだ。その時その場で自分が心の新鮮さを保っていられるかどうか。表現を創り上げる過程で感じる「新鮮さ」は創作を続ける上での生命線である。

例えばクラシックの業界では「古楽」が流行ったと聞く(現在進行形なのだろうか?)。それは現代音楽において「新しい」ものが出尽くしたがゆえのある種の「回帰」であることは間違いないが、「古楽」を復元するということは創作者にとってとても刺激的なことでもあるのだと思う。実際、聴いていると面白い曲もかなりある。クラウディオ・モンテヴェルディの曲の中にはポップスかと思うような4コードの循環進行一発の曲があったりする。

当然4コードの循環進行を今自分がやっても何の「新しさ」もないが、「古楽」という「文脈」の中でそれを扱う時(鑑賞する時)、とても「新鮮で面白いもの」に変わり得るのだ。しかも、それが自分以外の人間と共有できる「文脈」であれば、それは一定人数の間(社会)において意味を持つ。

というわけで、「文脈の中での新鮮さ」を追求するのが当面の課題であるのだが、そこで再び難題が立ちはだかる。どんな「文脈」を前提に置くかということだ。実はどんな「文脈」を選ぶかということは死活問題になる程重要なのだが、一番考えるのが大変なので自分も含め多くの人が失敗し続けている(もしくは代わり映えのしないものばっかり)、と自分では思っている。

あんまり長く書いてられないので、今日はこれくらいにしておこう。このテーマの続きは、気が乗ったら書きます。

マイクロチューニング

最近少しずつマイクロチューニング(非平均律)の研究をしている。
とある仕事で平均律から外れた音律をやってくれと頼まれたことが一番大きなきっかけ。マイクロチューニングは(おそらく一般的には)平均律以外の音律を指す(純正律なんかもマイクロチューニングと言えばそうなのかもしれないけど、そうだとしても割と別格の位置だろう)。
KORGのMonologue2016年にAphex TwinがKORGのMonologueの開発に参加してマイクロチューニング機能を実装させたりしていることを今更知った)を買おうか迷ったがまずは自分の環境でできることをやってみようと思い、その筋のデファクトスタンダードであるScalaというアプリの実行環境を整える。
煩雑なインストール作業を乗り切り見事アプリは起動するが、肝心の音のチェックがどうしてもできない。内蔵音源(?)から音が出ないし、MIDIのIACバスもソフトから認識されていない。
検索すると同様な感じでうまくいってない人がいたが、そこのコメントでソフトの割と深い部分で不具合を起こしているらしいことがわかり諦めた。
Logic ProではScalaで使用できる音律設定ファイルを読み込むことができるので、アプリのパッケージの中にあるTuning Tableフォルダにいくつか設定ファイルを放り込む。
流石に過不足なく動くが、平均律からプラマイ100セントまでしか動かせないという厳格な(?)制限があり、読み込んでも意味のない音律が結構多い。
また、Logicの場合、プロジェクト設定から全体の音律を変えてしまうので、複数の音律を使いたい場合結構面倒(一つの音律で作業してバウンスして、音律をまた変えて作業する、といったことを繰り返す羽目になる)。
Ableton LiveだとMax for LiveデバイスにRetune for Liveという素晴らしいMIDIデバイスが出ており、こちらだと簡単にトラックごとに別の音律を扱うことができそう。
試してみるとポリフォニックに発音させる際に音程がヨレているようだが、使えないことはない。しばらくこれで実験することにする。
色々調べているとマイクロチューニングをやる目的を列挙しているサイトがあった。
新しい音を見つけるため、民族音楽をシミュレートするため、古楽を演奏するためetc….
自分で色々実験し、「これはいけるかな」と思ったやり方を客観的に眺めると、いかに自分が保守的な耳をしているかがよくわかる。
特に音律を判断する際、どうしても平均律を基準にしてしまうので、平均律からせっかく自由になったはずなのに実は一歩も外へ動けてないんじゃないかなんて考えてしまう。
かといって平均律を頭から追い出そうとすると、リズムと音色に偏ったフレージングになる。
当たり前のことではあるが、結局自分が経験したことを元に良し悪しを判断しているので、それ以上のことはなかなか出てこない。
マイクロチューニングという広大な世界を前にして自分の枠組みから出たいと思ってはいるけど、果たしてそんなことできるのだろうか。
まあ、その不可能性を自分なりに確信するのも一つの経験ではある。

ちなみに今はScalaの公式サイトから落とせる膨大な量の音律リストを少しずつ試している。
普通にやってたら10年仕事になってしまうので、ある程度傾向を掴んだら自分なりのやり方を考える方にシフトしていきたい。
今の所、平均律からのヴァリエーションとして作られたであろうものが結構多い。


大晦日から散歩をするようになった。海をぼーっと眺めたり、鳥の声を聞いたりすると、とても良い影響が自分にあるようだ。波を見つつも一点を凝視する練習をしている。昨年の晩秋くらいからSNSへの個人的な投稿をやめた。再び復帰するかどうかは不明。

『賢治讃劇場』本番間近/主に音楽について

ここ数日間は怒涛の稽古ラッシュでした。もちろん10月11日から本番を迎える横浜ボートシアター『賢治讃劇場』の稽古です。稽古場にいる最中はあまり疲れの自覚がなかったのですが、家に帰ると即寝。体は正直です。「役者は寝るのも仕事」という又聞きの格言もありますし、舞台上で役を演じるのは初めてやっていることもあるので、生活上の瑕疵はどうかご寛恕いただきたい(誰に?)。役者としてはせめて足を引っ張らないように本番を乗り切ることだけが目標……などとネガティブなことを言いつつ、作品自体はいつも通り、本当に面白いです!ぜひ今からでもご予約を!

音楽としては、今までのやり方を踏襲している部分に加え、これまでとは若干違ったアプローチを大きく導入しています。今までと同じなのは、生演奏の部分。パーカッションであったり、ギターであったり。今までと違う部分というのは、打ち込みのポン出しと、キーボードやサンプラーによる演奏です。元々僕は人前で演奏をするつもりはあまりない心算でボートシアターに参加し出したので、これは僕にとっては原点に戻った感じですが、僕がボートシアターで音をつけるアプローチとしては新しい感じです。

今回なぜそういうアプローチをすることになったかというと、かなり複合的な要因があるように思います。しかし、作品のテイストに助けられた部分が一番大きいかもしれません。

打ち込みやキーボード、サンプラーを使った音楽は『シグナルとシグナレス』で多用していますが、この作品は信号機や電信柱といった無機的、人工的なキャラクターのみが登場する芝居です。電波、電気、ランプの明滅といったイメージと打ち込み的な感覚が非常に良く合うように感じます。とは言っても、単に無機的な音楽ではなく、90年代以降?の有機的なエレクトロニカの雰囲気が随所にあったりするので、そういうのが好きな人には気に入っていただけるかもしれません(いや、この程度で偉そうにエレクトロニカとか言ってるんじゃない、って怒られちゃうかな?)。

また、『フランドン農学校の豚』は「漫画的(©️遠藤啄郎?)」と言えるほど展開の早い作品です。音楽としてはそのスピード感を出すために、表現の振り幅を大きくする必要もあり、こちらでも打ち込みを一部使用しております。しかし、どちらかと言えば、『フランドン〜』の方が今までっぽい、生演奏を多用したテイストになってます(一方で、一つの芝居として見れば、『フランドン〜』はボートシアターにしては異例なほどテンポの早い作品になっているのでは!)。

元々は打ち込みというものを主な表現手段にしていた僕が、今までボートシアターでなかなか打ち込みに手を出さなかったのは、劇団のカラーや、演出の要求にどう応えるか、という問題に関して、打ち込みでは不安が残る、と思っていたためです(この問題を言い始めると長くなりそうなので、また他日に譲ります)。

しかし、今回役を仰せつかったために音楽演奏の負担を少し減らさないとまずいぞ、という問題もあり、打ち込みとボートシアターという問題に対して真剣に考えざるを得ませんでした。その試行錯誤の成果が、特に『シグナルとシグナレス』に現れています。それを是とするか非とするか、「是非」劇場にて確かめてください!

『にごりえ』ツアー終了

『にごりえ』のツアーが無事に終了しました。来場されたお客様、受け入れ先のみなさま、関係者のみなさま、どうもありがとうございました。またお会いできたら嬉しいです。

次は『賢治讃劇場』……明日から早速稽古再開します。これから本番に向けて陰に陽に色々と準備をせねばなりません。気を引き締めて頑張ろうと思います。