日本神話に関する本を読んでいると、不可解なことが非常に多く、物語内の出来事の脈絡がなかなか頭に入ってこない。
例えば、イザナギノミコトやイザナミノミコトはかなり序列の高い神ではあるが、国産みが終わり、黄泉の国下りが終わるとあっという間に表舞台からは退いてしまう。
しかし、イザナギたち以前に生まれたとされるタカミムスビノミコトは、その後の天孫降臨でも登場し、アマテラスオオミカミと共に重要な役割を果たす。
また、スサノオノミコトも別人と思えるくらいに物語ごとの性格が異なっており、英雄なのか、傍迷惑なトリックスターなのかいまいち判然としない。
暗中模索で日本神話の研究書を読んでいるうちに、なぜ上記のような錯綜が起こっているのか少しずつわかってきた。
まず、天皇の直接の皇祖神とされる神以外の神が、日本神話(記紀神話)に多く入り込んでいること。
出雲由来のスサノオノミコトはもちろん、イザナギノミコトやイザナミノミコトも淡路周辺の土着神がなんらかの経緯で朝廷に取り入れられたということ。
そして、アマテラスオオミカミですらどうやら伊勢周辺の神が朝廷に取り入れられ、のちに皇祖神化したということ。
記紀神話は一種のマニフェストであるとどこかで聞いたことがあるのだが、このように本来皇祖神ではない神を「国の神話」の一部として取り入れまとめたことは、確かに中央集権化を狙ったマニフェスト(公約)の神話的表現と言えそうである。記紀神話が未来に向けての公約であることを傍証するかのように、神話に関わる祭儀の一部は編纂よりも後代に整えられていったらしい。
記紀神話というのは、そういった意味で編纂当時の「現代性」を持つものとして受け入れないと、さっぱりわけがわからないということが、朧げながらようやくわかったのであった。