カリガリ博士

「洞熊学校を卒業した三人」の初演が迫っている。初演というのは結構しんどい。特に現代劇は作品ごとにスタイルを都度見つけていかなければならない宿命を背負っている。何か既存のものをあてがうことは簡単だが、そこから一歩でも踏み出そうとすると虚無にも似た広大な地平が広がっている。アイディアにも増して、技術的に可能なのかという問題も常に頭を悩ませる。

以上のように問題山積の状況下、本当はこんなことを書いている暇に作業しろという感じではある。しかし、昨日、「カリガリ博士」を観てしまった。観てしまったと言っても1時間程度の作品だからそこまで大した時間ではない。そして、観てしまったからには感想を書こうと思う……

「カリガリ博士」は1920年の作品ですでに著作権が切れているらしい。しかも、(オリジナルはどうか知らないが)音楽もクラシックからなので完全に著作権フリー。Amazonプライムには打って付けの映画だ。

まずこの作品はセットが面白い。こんな形の窓ってあるのか?という斜めに傾いた窓をはじめ、モダニズムだかキュビズムだか近未来だかよくわからない妙な舞台装置のオンパレード。白黒のわかりづらい映像で見栄えと視認性を確保するため、わざと変な舞台装置にしているのかと察しながら観ていたが、エンディングの後、本当の意図は別のところにあったのだと納得した。作品の物語と美術のスタイルに統一感があるというのは素晴らしい。自分の舞台音楽もこうありたいもの。

作品のWikipediaを読んで思い出したが、演技の誇張も印象的だった。これにもやっぱり物語と関連づけられた意味がある。確かAmazonプライムのコメントで、マリリン・マンソンを初めいろんな人が「カリガリ博士」をアイディアを下敷きにしてビジュアルイメージを作っているという話もあった。記憶を辿ると確かにそうだろうな、という感じはする。

1920年の作品にネタバレもへったくれもないかもしれないが、ストーリー的には大きなどんでん返しがあるので詳細は省く。途中、ちょっと話が飛んでいるような気がしてシーンの意味がわからなくなる瞬間もあった。でも、終わってみれば「まあ、ああいうことなのかな」と察しはつくので、途中で投げ出さず最後まで観ることをお勧めします。