『新版 小栗判官・照手姫』が終わって

現在、東京公演のチェック用映像などが送られてきている状況。先ほど恐る恐るチラ見してみたが、自分が舞台に立っている姿を見るのは拷問でしかない。とはいえ、立場上見ないわけにもいかない。次回への反省とするために、心の準備をしっかりしてからちゃんと見ることにしよう。

『小栗判官・照手姫』の恐ろしさ

この作品はある種の人を非常に深く捕らえてしまうのだとはっきりわかった。以前の演出(遠藤演出)の時も、察するに本当に色々あったのだろう。これから先、自分が飲み込まれないようにしないといけない。それには、視点を広げ、いろんなことに興味を持ち、向上心を忘れず、自由であり続けようとすることが大事だと思っている。

読売交響楽団のリゲティを聴きに行く

https://yomikyo.or.jp/concert/2022/12/633-1.php#concert

割と直前まで迷ったが気合いでサントリーホールへ。入り口でプログラムらしきものを配ってたけど、もらってくるのを忘れた!

リゲティ生誕100周年ということもあって組まれたプログラムらしい。リゲティのピアノ協奏曲は、一発ネタを取り留めなく繰り出すような感じではなく、音響的素材をしっかりと発展させていってるように感じられ、とても良かった。

あんな難しそうな現代曲に大人数のオーケストラが挑んでいるという姿だけでも見もの。会場は満員ではなかったものの、お客さんの拍手は熱狂的で、カーテンコール何度やったんだってくらいずっと拍手が止まなかった。

SNS疲れ

疲れも何も、ほとんどSNSで発信してないけど、水面下では葛藤があった。今回『新版 小栗判官・照手姫』にかこつけて自分のアカウントから色々発言や宣伝のしようもあったし、言おうかどうか迷ったのではあるが、結局ほとんど何も言わずに東京公演から2週間ほど経った。何もしないで踏みとどまっていた理由は自分でも謎な部分はあったけど、さっき思い至った結論は、単純にインスタントなコミュニケーションに耐えられないからだと思った。

その基準で言えばXよりはFacebookの方がマシといえばマシ。しかし、「いいね」その他のリアクションで自分の態度が決まってしまう(ように見なされる)ことがキツくて自分からはほとんど何もできないでいる。

もっとも、こういうことで気疲れするよりは、創作を頑張ることが自分にとっては遥かに大事。今日の読響もそうだけど、自分の肥やしになることに投資をしつつ、数少ない暇な時間で創作を続けることとしよう。

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